娘ちゃんについて語る(小学生高学年時代)

娘ちゃんについて

こんにちは、あこです。

前回は娘ちゃんの小学校低学年時代のストーリーでした。

今回は、小学生高学年のお話です。

高学年の思い出は受験一色

4年生から中学受験塾に入塾した娘ちゃん。

というか、この3年間の思い出は塾と受験勉強とか模試とかそういう記憶しかない。

娘ちゃんは塾が大好きでした。

学校よりもずっとずっと授業も先生も面白い。

学校の友達とは感性が違う、塾の友達。頭の良い人が好きなのはこの頃から始まっていたんですね…

塾以外で行われる模試も、色んなところに行きました。

外部模試は私立中学が会場になっていることが多いので、一緒に行って親は待っているのです。会場に保護者待機の場所もあるけれど、外でお茶しながら待っていたり。

普段出不精であまり外出しない私でしたが、都心の色んなところに行くのは新鮮でした。おかげで電車の路線も覚えることができました(笑)

一番大変だったのは月謝よりも弁当と送迎

4年生は週に2日の授業、月に1回のテスト、2か月に1回の模試という感じで、そんなに忙しくもなく、月謝もびっくりするような額でもなく。春期講習、夏期講習、冬期講習もあったけれどお休み期間の半分以下。年間で30万くらい?普通の学習塾とそんなに変わらない感じ。

5年生は週3日70分3コマの授業、弁当持ち。月2回のテスト、月1回の模試。季節の講習は7割くらい…たぶん。年間50~60万くらい?負担が大きくなってきた…

6年生は週5日、もちろん弁当もち。平日の帰りは22時まわることも。毎週模試かテスト。長期の休みは朝から晩まで勉強。塾から費用の口座引き落としの通知くるたびにその金額にびっくり。年間100万円以上かかりましたね…。よく払った、自分。

休日は弁当もちろん、平日のお弁当がきつかった…

仕事を夕方までして、帰って弁当を作って、その弁当を持って塾に行って、家に帰って、塾が終わる頃にまた娘ちゃんを迎えにいくという、なんともハードなスケジュールを過ごしていました。

夏期講習やと冬期講習だと、昼弁当、夜弁当みたいなときもあったりしましたね…

そして受験校に合わせていつもと違う塾に遠征することも…。その時の送り迎えもまた大変でした。

中学受験は親子の受験、とはよくいったもので、子供だけでなく親が頑張らないといけない部分が多いいんです。

親に情熱がないと、絶対に続かないと思います。弁当も送り迎えも、月謝も…

受験生時代の小さい挫折

3年間の受験生生活の中で、一度だけ、塾を辞めたいと言われて、数ヶ月休んだときがありました。5年生の夏くらいに。勉強のスピードと難易度があがり、上級クラスにいた娘ちゃんは成績がすこしずつ落ちてきてしまい、色々な事をストレスに感じてしまい塾をサボってしまうように。私は仕事をしているので、塾へは一人でバスに乗って行っていたのですが、違うバスにのって違う駅に行き、ストリートミュージシャンのお姉さんに愚痴を聞いてもらっていたりしていたそうです(笑)

この逃走癖は、大きくなっても続いていきます( ゚Д゚)

数ヶ月して塾に戻り、下位クラスになったものの、下位クラスでは成績が上の娘ちゃん。受験校もランクを下げて、いわゆる上位校は候補から外すことにしました。

それが良かったのか、受験終了までなんとか過ごせていけました。

受験校と親のフトコロ事情

あまり知られていないかもしれませんが、私立中学は中堅校は受験で良い成績ではいると、入学金免除、学費免除という制度がある学校もあるので、娘ちゃんにははっきり言いませんでしたが、私はそこ狙いでした。もしくは都立中高一貫校。

お忘れかもしれませんが

シングルマザーで普通の会社員の私が

私立中学の受験なんて

金銭的に超大変に決まっているじゃないですか!!

幸い、離婚した元夫からの養育費はきちんと頂けていて

貯金もまぁまぁできていたとはいえですよ!

学費だけでなく、制服から施設費やら積立やら行事やらすべてが公立より高いので(;^ω^)

実際進学した私立中学で、シングルマザーは私だけでした( ;∀;)

無事に合格!!

紆余曲折あった受験も、第1志望校の都立中高一貫校は残念ながら不合格。上履きを忘れたのが原因だと娘ちゃんはいまだに信じ込んでいます(笑)

第2志望・第3志望の私学には特待生として合格!

無事に進学先が決まり、怒涛の高学年が幕を閉じたのでした…

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